SSブログ

訃報 [紹介]

チャイナダイニング 祥のこと

ことの始まりは・・土曜日(4月21日)・・・
この日、違う場所(市内の瀬戸内魚礁 本陣)で酒の会(芸予地震で廃業した蔵の酒を飲む会)である酒の会にチャイナダイニング 祥のオーナー兼店長に車で送って貰った・・今、思えば・・降りる際に、自分に、「丸くなったね」と、何?今頃・・堅くなろうか?の問いに、イヤ今のままが・・と。
「内心、変なヤツ」彼との付き合いは、ほぼ1年・・でもこのときに1年で終るとは思いも寄らなかった。

会は定刻を過ぎ、無事に終りました、翌日はチャイナダイニング 祥で、神亀の酒を使った酒の会(蔵元はこられません)。酒リストを作らねばと思いつつその日は寝た。

日曜日は、名古屋から妹が母親の見舞いに来てるので、まずは、見舞い・・それから西條へ行き、いろいろ用事を済ませ、14時半ごろ、帰着。

この日の準備の為に、店長へ電話しようと思いなにげに携帯を見たら着信が3件(店長から)、なんだろうと思って電話かけたら・・・。えっ、ウソでしょ・・。

その時の電話の内容は、「今日は休みます、理由は月曜日に話します」・・・一方的に切れた。

その後、知り合いの高級スナックのママから衝撃的な電話・・「店長(中国人で名前は許成)許くん亡くなったららしいよ」・・・この「らしい」は又聞きの為確定されてない。

確定して欲しくない願いと・・ダレに聞けば、頭の中でぐるぐる駆け巡る・・彼になにがあったのだ。?????

そのあと、タブン一番確かな人に電話して聞いた言葉は・・欲しくない情報でした。なぜか頭の中に「喝采」の歌詞が・・・残念。

それからその情報を持って、いろいろ探索した結果、浄楽寺(でも最初に聞いたのはちょうらくじ、ん~そんなんないぞ、場所を聞いて地図で探して・・浄楽寺やん)に居る。
近いのでバイクで・・。

死因は「脳幹出血」でした。

また連絡、メールで・・・。

ご両親と息子は中国に・・いろんなことでお世話になってた、吉岡さんと許成の友達(広島在住)が縦横無尽に動き、ご両親のビザを取るのに尽力した。
「自分はそんな知識は持ち合わせてないので、ご遺体の前で番をしてた」

結果、通夜の時間には間に合わないも、通夜の日(25日21時40分頃)にお寺に到着。

日曜日から火曜日まで3日間、お寺に詰めてました。水曜日お通夜、木曜日お葬式。怒濤の1週間。

で、今日、残された奥さんが、店を続けて行きたいと言いにこられて、こりゃぁもうバックアップしないわけにはいかない(きっぱり)。

連休明けには再開されるのではないかと思います。


今、思うに、たった1年だったけど、なぜか濃い付き合いだったように思われる。
しかし、若い人が先に逝くのは悲しい・・
彼のことを少し・・・
彼は1999年になぜか三原(広島県三原市)に
日本語学校に2年、洋裁学校に3年、広大法学部受験(合格)4年で卒業(優秀だと思う)
もう少し詳しいのも知ってるけど、割愛。
広大卒業後「ジーベック」に就職も6ヶ月で退職して、誰かさんのすすめで中華料理店を開業。

現在のお店は、最初に開業した店から飛躍を目指して現在の三原ステーションホテルの2階に新規オープン(平成23年2月)、現在に至る。

奥さんの名前は「何叶」さん。結婚して9年だったかな。子供は「としくん」(字は知らない)

今は、思い出になった入籍の時の面白い話は伏せておこう。

どうぞ、三原に来た折には是非、三原ステーションホテル2階のチャイナダイニング祥で本格中華料理を堪能してください。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:グルメ・料理

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。